豊中地区一般労働組合をつくつた人のブログ

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政治運動の言葉は金銭やスキャンダルよりも、生き方に焦点を当てるべきだ

いまの立憲民主や共産党という政党や労働組合などの左翼勢力のスローガンにわたしは違和感がある。

「軍事より福祉に金を!」
「大企業より庶民のくらしを!」
「万博やカジノはいらないぞ!」
「あの政治家は献金をもらった!」
「あの政治家は汚職している」
などなど。

まあ、たしかに正しいんだけど、それよりもこの闘いえない国・日本の人々に枯渇しているのはもっと別の「言葉」だと思うのだ。

どういう言葉か?
自分が息苦しい。なんか嫌だ。理不尽ではないけども、浮かないな。そういう自分のなかの浮かないなという感情を、意識化し論理化する言葉。金やスキャンダルの問題ではなく、生き方の問題を焦点とするような言葉。その言葉の雨を降らせ、芽が生えるのを待ちたい。

それは文学の言葉になるのかもしれない。僕ならたとえば、こんなスローガンが好きだ。

「この社会では他人を蹴落とし見下さなければ生きていけない。家族を養うためには金がいる。金を稼ぐには出世する。出世するには、同僚を蹴落とさなければならない。あるいは、下の奴らを見下さなければならない。そんな生き方は嫌だ」
「この社会では、学校から企業へというレールがすべてであり、そこからこぼれ落ちたら、自尊心も金も持てない。そんな社会はぶっつぶす」

僕の言葉の力が足りないから、弱々しいスローガンにしかならないが、金銭でもなく、ましてや権力者のスキャンダルでもなく、自分たちの生き方を意識化してくれるような言葉を、この乾いた社会に雨のように降らせなければならない。そこから芽が出るだろうから。

なぜ政治運動家が?いや、政治運動家じゃなくてもいいんだけど、そういうことを堂々と人前で言うことが重要だと思うのだ。Twitterで言ってても身内にしか届かない。でも、街頭演説やビラなどならば、不特定多数の人に届く可能性がある。つまり、街頭演説やビラが重要ってことさ。

そして、政治運動家が生き方に焦点をあてた言葉を叫ぶことで、「自分の生き方の浮かない感じが、もしかしたらこの社会の構造と関わっているのかもしれない」と、人々が思ってくれるかもしれない。そうすればしめたもんだ。

だから、政治運動の言葉は決して金銭やスキャンダルのことだけに終始してはいけない。問題は生き方(生きづらさ)なのだ。それは金銭やスキャンダルよりも、大衆にとって急迫した問題だよ。