スキマハウス 新入居者募集!!(12月~)

大阪大学のふもと、石橋にスキマ寮を作りました。定住者だけでなく、誰でも使えるシェアハウスです。 いつでも来て、寝たり食べたり飲んだり話したりしてください。イベントや読書会あるいは、秘密結社の儀式など、なんにでもお貸しできます。興味がある方はいまそこでただちにお問い合わせください。(お茶しよっか。)連絡をもらえれば、誰にでも鍵のありかをお教えします。勝手に入っちゃってください。ishibashisharenokai@gmail.comまで連絡を!〒563-0032 大阪府池田市石橋1-21-10

東浩紀『観光客の哲学』から見る、シェアハウスについての考察――「人間」と「動物」のちがいから

東浩紀『観光客の哲学』から見るシェアハウス】
 
こんにちは。
 
最近、東浩紀さんの『観光客の哲学』という本を読んだのですが、非常に示唆されるところがありました。つまり、彼のことばを使って、僕がやろうとしたこと(開放型シェアハウス)が、簡単に言いあわらせるかもしれないと思ったのです。
 
一言で言ってしまうと、僕がやろうとしたこと(シェアハウスをやっていた先輩たちの受け売りなのですが)は、
 
「政治的への関心や公共性に関心を持つ人々を増やすために、まず一緒に住んだり食べたり飲んだりするところからはじめようと思った」ということです。
 
こういうことを企図しました。東さんのことばで語って、この企図を哲学の文脈とつなげてみましょう。そうすることで、もう少しいろいろなところと接点を持つことができるかもしれません。
 
東さんは「ひと」を語るにあたって’(p109らへん)、「活動」と「労働」ということばを用いています。まず、このふたつのことばの意味を書いてみます。
 
「活動」というのは、公共につながる言葉です。つまり、演説したり他人と議論したり市民運動にいったりといった行為です。ここでは、誰が演説しているか、誰が話しているか、ということが大切になります。
 
「労働」というのは、わたくしにつながる言葉です。つまり、コンビニやファーストフード店のバイトのような、誰がやっても同じ人数と時間だけで数えられる賃労働のことです。ここでは誰がやっても同じというのが特徴になります。
 
これを言い換えると、「活動」は誰がするかということが重要なので、顔や名前を持つ「人間」が行うそうです。一方、「労働」は誰がやっても同じで、また「労働」の結果もらえる賃金で「消費」を行うので、いずれも名前や顔は必要とはいえず「動物」が行うものだそうです。要するに、「活動」をするひとは「人間」だけど、働いて食べたり飲んだりする「労働」と「消費」をするだけのひとは「動物」と同じだ、ということです。
 
そして、昨今の人文学は「人間になることが重要だ!」「政治(活動)をやれ!」と言っているけれども、「労働」「消費」、すなわち「動物」を軽視していないか?だから、こういう働いて食べて寝る「動物」の人々の存在をちゃんと考えないといけない(哲学の歴史のなかにつなげないといけない)と言っています。
 
つまり、有名な哲学者である「ハンナアレントもカールシュミットもみなグローバリズムが可能にする快楽と幸福のユートピアを拒否するためにこそ、人文学の伝統を用いようとしている」のです。「二〇世紀の人文学は、大衆社会の実現と動物的消費者の出現を「人間ではないもの」の到来と位置付けた。そしてその到来を拒否しようとした。しかし、そのような拒否がグローバリズムが進む二十一世紀で通用するわけがない。」(p109~p110)
 
要するに、「民主主義を考えよう」とか「憲法を考えよう」とかいう言葉を言っても、だいたい多くの人はなんとも思わないんだけど、でも、そういう人たちのことを考えようよってことなんです。
 
シェアハウスは、その初期から、あまり稼げない学生や若年労働者が、その負担分を分割するために共同して住む、ということを目指して作られました。つまり、「労働」者があんまり稼げないけど「消費」したいから、家賃分や光熱費を減らそうと思って立ち上げたものなんです。すなわち、それは、「動物」の群れなんですね。
 
しかし、ここがおもしろいところなんですが、人間は一緒に住んだり食べたり飲んだりしていると、「話をする」ものなんです。この「話をする」というのは、「誰とするか」が問題となります。すなわち、顔や名前を持つ「人間」として話をするのです。政治の議論もするかもしれませんし、キッチンやリビングなど公共スペースの使い方の使い方は、やはり行わないといけない。(これは「小さな政治」と呼ばれています。『家族を超える社会学』久保田論文)
 
食事は基本的に自分の欲求を満たすことです。東さんは次のように言っています。「物の欲求はひとを孤独な満足に閉じ込めるだけだ」。話をすることで、ひととつながれます。「活動=言語のコミュニケーションはひとつひとつをつなぐことができる」。しかし、話すためには、一堂に会することが必要になる。そのために、「消費」に、すなわち、ひとの「動物」的なところに訴えかけるのです。
 
哲学カフェ――哲学の議論をするためには、お茶が必要だ――という言葉はまさに、ひとが「人間」になるには、「動物」的なところに訴えかけるとよい。そうすると、ひとは「人間」になりやすい、ということを直観的に言い表した言葉であると思います。
 
以上です。ありがというございました。