スキマハウス 新入居者募集!!(12月~)

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東浩紀『ショッピングモールから考える』のレビュー

久々に骨のある本を読みました。おすすめしなくてはっ!と思ったのでレビューします。
ゲンロンカフェを主催している東浩紀さんの『ショッピングモールから考える』という本です。
「あん?あずまひろきぃ?」と思った方、ちょい待ち。
この本はとても面白い本です。
というのも、昨今のオルタナティブ運動(住み開きなどのサードプレース運動・共同体を作ってなんとか生きていこうみたいアナーキズム運動)を批判しているからです。つまり、僕を批判してるんです。

アナーキズムは別に政府を転覆しよう、テロをおこそうというアホみたいな単純思想ではありません。賀川豊彦がつくったコープとかはアナーキズム系です)

いま、どいつもこいつも「アナーキズムだ!アナーキズムだ!」とか言ってますよね。朝日新聞に連載持ってる鷲田清一共産主義者になっちゃったし(『しん がりの思想』)、論壇を牛耳る柄谷行人共産主義者だし、若手の論客(鈴木謙介『サブカル・ニッポンの新自由主義』)も「アナーキズムが必要だ!」って 言っています。インパクション系もなぞの盛り上がりを見せてます。「アンダークラスを自己組織しろ!」とか笑。まじでバカにすんなよ。

こっちからしたら、はいはい、やりますよやりますよって感じです。てか、現実ってそんな甘くないよね?って感じです。うるせーよバーカ、もっと役に立つ他のこと言えねえのかよって言いたくなります。
(もちろん、僕は柄谷行人鷲田清一もとてもとても尊敬してますけどね。柄谷は遠くを見ていて、鷲田は近くを丁寧に見てるから。インパクション系は内輪感が満載過ぎて読みません。でも、酒井さんとかの歴史系の仕事に興味はある。原田さんはいい人だった。)

左翼系の議論がおもしろくないのは、僕に「がんばれ」としか言わないから。安心して読めちゃう。

でも、東浩紀は違う。「バーカ」って言ってくれるんですよね。次の一行で、僕は活動を全面的に考え直さないといけないかもしれないという緊迫感があるんで す。そこがいいんですよね。(まあ、そう簡単には活動を変えられないけど、でも「あ、この道があったか」と思わせてくれる)。

まあ、こういうアナーキズムとかシェアハウスとか共同体とかの動きを見て、

「1990年代の「だめ連」、ゼロ年代の高円寺の「素人の乱」……といったような、ストリートを中心とした運動」を批判したのが、この『ショッピングモールから考える』です。(僕の運動は「素人の乱」の系譜)。

「[そういう運動を称揚した]『ストリートの思想』では、若者たちが昼間から酒を飲んで語り合っている、そういうオープンなところが高円寺の魅力だと言う。でもそれって、本当はかなり威圧的ですよね」。

こういう言葉に再び公共性を考えさせられます。
僕の研究室の先輩に「スキマハウスに俺はいけない」と言われることも多いですから。あと、スキマハウスは子育てやってる人のスペースにならない、なってない。

ファミリーレストランにはファミリーがいない。仕事中に休憩している営業マンとか、ダメ学生とかばかり。ではファミリーはどこにいるのかと言えば、みん なフードコートに行く。ファミレスで小さい子が騒ぐと、「ほかのお客様のご迷惑になりますので」と怒られてしまう。それに対して、フードコートだと周りも お母さんだらけだし、隣にアンパンマンのデカい遊具があったりして子どもが騒いでも問題ない。」

「お前は子育てのことをぜんぜん考えてない」とある人に言われたのを思い出します。その葛藤があって、昼間にマヤッカをやったりしたのですが、あまり実効性はありませんでした。
僕の友人の赤尾光春さんが、この子どもや親が行く場所がないのに目をつけて、「cafe ludens」というおもちゃカフェを運営しようとしています。これもゆるい共同体をつくろうというサードプレース運動を事業化したものです。

「ひげ面の三、四十代の男たちが日本酒を片手に安倍政権を批判しているのが、果たしてオープンと言えるのか笑 ひとくちに「開かれている」と言っても、若 者に対して開かれていることと、高齢者に対して開かれていることは一致しないし、子どもがいるお母さんに開かれていることと、健常者の男性に開かれている ことも全然違ってくる」

これは共同体がぶちあたるところですよね。こういう問題があるので、僕は「共同体はいくつも必要だ」と主張しています。そうして、その共同体同士がつながって、いつでも利用者が必要な共同体にアクセスできるのが理想です。(しかし、どうその理想を実現すればいいのか。)

「商店街の「顔が見える関係」が老人や障碍者にやさしいと言われていますよね。でも逆にそれは、子育て世代やニートにはきつい関係なのではないのか」

「コミュニティについては、郊外やネットといった「現代的なコミュニティ」と、駅前商店街に代表されるようなおじいちゃん、おばあちゃんの「顔の見えるコ ミュニティ」との対立が重要です。コミュニティというと前者だけが問題視されるけど、それでいいのか。開放性については、監視カメラに囲まれ空調も整って いる「セキュリティ」の空間と、だれも管理しておらずホームレスも入れるようなアナーキーな空間のどちらが本当に「開放的」なのか、あるいはだれにとって 開放的なのかという問題」

しびれますよねえ。最高の批判です。僕、批判されてるんだけどね(笑)。

こういうこと考えていかないと、共同体運動はつぶれてしまうか、また実効性もなくなると思うのです。てか、いまだって、実効性なぞだしな。

「従来の「軽薄な消費者(=資本主義)」とまじめな市民(=共同体主義)という構図に限界を感じているからなんですね」

そうそう。限界を感じますよねー。僕は消費社会はダメだと言っているんですが、それだけ言ってるだけでは何も変わりません、どう消費社会を捻じ曲げていくかも問題です。

そこにショッピングモールという論点が出てくる。

もちろん、再開発の問題やモールが底辺や発展途上国を搾取しているというところは棚上げにされています。

「言論人には「政治的に正しい」「実効性の高い」言葉ばかりが求められるようになり、常識から外れた、挑発てか視点や提案を投げかける「愚かな」言説は受け入れられなくなった。いま注目の若手論客も、年齢こそ若いが、大衆の期待に過不足なく応える賢いタイプが目立つ」

そうなんですよねー。そこが窮屈なんですよねー。
てか、そこの言論の「自由さ」を確保しないと運動なんて死んでしまうよって思う。
いやー、東は面白い。