スキマ寮@石橋2017年度 新寮生募集!!

大阪大学のふもと、石橋にスキマ寮を作りました。定住者だけでなく、誰でも使えるシェアハウスです。 いつでも来て、寝たり食べたり飲んだり話したりしてください。イベントや読書会あるいは、秘密結社の儀式など、なんにでもお貸しできます。興味がある方はいまそこでただちにお問い合わせください。(お茶しよっか。)連絡をもらえれば、誰にでも鍵のありかをお教えします。勝手に入っちゃってください。ishibashisharenokai@gmail.comまで連絡を!〒563-0032 大阪府池田市石橋1-21-10

スキマハウスの冷蔵庫は〈里山〉として働くか? ――他者の問題としても

 スキマハウスには大きな冷蔵庫がある。

 

そこにはよくわからないものがたくさん入っている。

利用者からはしばしば

「これどうするんだよ・・・」

「なにこの色???」

「え・・・?」

という反応が返ってくる。

 

しかし、食べなければゴミ箱行きだ。それは惜しい。だから、食べる。

食べるしかない。

 

食べるしかない?

 

ん?

 

スキマハウスの冷蔵庫に入っている、

よくわからない色をしたソースや半なまの野菜、謎の粉どもは

とりあえず食える。

 

そこに入っているのは、一人暮らしの人の冷蔵庫のように

自分が欲しているもの、かつて自分が欲したものではなく、

かつて「誰か」が欲したもので、

その「誰か」が誰なのか、顔さえ知らないこともあるだろう。

 

スキマハウスにある冷蔵庫を利用者は制御できない、操作できない。

なぜかある。ただそれだけ。

 

 これはどこか里山に似ていると感じる。

小学生だったころ、私は友人の家の裏にある山に何度か行って、

春はタケノコを掘り、秋は栗を拾った。

タケノコは茹でて食べたし、栗は焼いて食べた。

しかし、驚くべきは拾ったどんぐりをもつぶしてクッキーにしたことだった。

なるほど、どんぐりは食えるのかと都会っ子の私は妙な気分になったのを覚えている。

食えるものは、スーパーに並んでいるものだけと思っていたからだ。

(でも、よくよく考えれば、マンションの前に咲いていた大きなピンク色の花の蜜を

吸っていたっけ。)

 

そのような〈里山〉に生えているものは、

「神」さまが私たちに与えたものということになっている。

だから、私たちは何が生えてくるか選べない。

季節や土地の問題で、〈里山〉を根元的には制御できないし、操作できない。

しかし、与えられたものを利用することはできる。工夫することもできる。

そこが重要だ。私たちは与えられたものを選ぶことはできないが、

それらを工夫して利用できる。

そこから生まれるのが文化だ。

山には山の文化があり、海には海の文化があり、

もちろん、都市には都市の文化がある(坂口恭平が示したように)。

 

文化は与えられたもの、〈里山〉にあるものから発生する。

スキマハウスの冷蔵庫もそんな感じであってほしい。

自分が欲しているもの、欲したものから、

「誰か」がかつて欲したものを使って、

文化をはぐくみたい。

 

(なので、自炊は大切だ)